2015-03

古今伝授

3月28日、29日の水前寺祭りは天気にも恵まれ、多くの方にご来園いただきました。古今伝授の間での肥後古流お点前披露も賑わいを見せ、熊本に伝わる伝統文化の一端に触れていただけたかと思います。DSC_0041_01

さて、今回は「古今伝授」と幽斎公について触れてみます。

古今伝授とは、勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を、秘伝として師から弟子に伝えたもので、三条西家が代々一家で相伝していましたが、三条西実枝はその子がまだ幼かったため、後に子孫に伝授を行うという約束で幽斎公に伝授しました。慶長5年(1600年)の春先、幽斎公は後陽成天皇の弟宮である八条宮(桂宮)智仁親王に伝授を行っていましたが、細川家当主忠興公が軍勢を引き連れ上杉討伐に向かった隙に、石田三成が挙兵し幽斎公の居城田辺城は三成方の軍勢約15000に包囲されました。それに対し田辺城に籠城した細川勢は幽斎公を慕って城に立て籠もった領民や僧侶を含めても約500。圧倒的な戦力の差に落城は時間の問題と思われましたが、なんと2ヶ月近く城は持ちこたえました。この間、智仁親王は7月と8月の2度にわたって講和を働きかけましたが、幽斎公はこれを謝絶して籠城戦を継続。伝授が完了しないうちに幽斎公が死亡し、古今伝授が絶えることを恐れた親王は、兄後陽成天皇に幽斎公救出を奏請し、天皇はこれを受けて三条西実条・中院通勝・烏丸光広が勅使として田辺城に遣わします。関ヶ原の戦いの2日前の9月13日、勅命による講和が結ばれ、幽斎は名誉の無血開城を果たされました。三条西家より古今伝授を受けていたことが、結果的には幽斎公の命を救いましたが、幽斎公は籠城中に使者を通じて『古今集証明状』を八条宮に贈り、『源氏抄』と『二十一代和歌集』を朝廷に献上されていますので、古今伝授を自らの助命の材料に使うことなど毛頭も考えておられなかったことは明らかで、武将らしく田辺城を枕に、の覚悟をお持ちでした。しかし、幽斎公は古今伝授のみならず、文武両道の諸芸百般に秀でた才人で、朝廷や幕府の有職故実などにも詳しかったことから、その才覚が失われることを惜しんだ後陽成天皇の強い働きかけにより、田辺城の開城がなったものです。「芸は身を助く」というと俗っぽくなりますが、正に究極の「教養、才覚が自身の命を救った」事例として、日本史に残るエピソードです。

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2015-03-29 | Posted in 宗家BLOGNo Comments » 

 

水前寺祭り

3月28日(土)、29日(日)の二日間、水前寺成趣園(水前寺公園)で、”水前寺祭り”が開催されます。2010年11月の”古今伝授の間”解体修理完了を祝ったお祭りを継承しているもので、園内では様々なイベントやアトラクションが執り行われます。ちなみに、この二日間は通常400円の水前寺公園の入園料は無料となります。
“古今伝授の間”では、熊本に伝来する細川家ゆかりの茶道肥後古流のお点前披露を行います。10時、12時、14時の3回、濃茶の点前をお目にかけます。小堀家の当番は28日(土)。29日は武田家が担当されます。有料ですがお茶とお菓子を楽しんでいただくこともできます。時期的にも満開の桜を愛でることができると思いますので、ぜひお越しいただきたいと思います。042_01                  (この写真は2010年の水前寺祭り献茶式の様子です)
ここで薀蓄を少し。水前寺成趣園は、熊本市中央区水前寺にある面積約7万3千平方メートルの大名庭園で、豊富な阿蘇伏流水が湧出する清冽な池を中心に、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれる桃山式回遊庭園です。熊本藩初代藩主細川忠利公が寛永13年(1636年)頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まりで、三代綱利公が泉水・築山などを整備され、現在見るような形となりました。陶淵明の詩「帰去来辞」の一節「園日渉以成趣(園は日ゞに渉って 以て趣を成し⇒庭は日ごとに趣を増し)」が「成趣園」の名の由来です。
“古今伝授の間”は、近世細川家の祖で忠利公の祖父細川藤孝(幽斎)公が後陽成天皇の弟八条宮智仁親王に古今和歌集の奥義を伝授したといわれる建物です。当初八条宮の本邸にありましたが、その後長岡天満宮に移築。1871年(明治4年)に桂宮家から細川家に贈られ、解体し保管されていたものを1912年(大正元年)、現在の場所に再建したものです。多くの部材は当時のものを使用してありますので、その柱には智仁親王や幽斎公が寄りかかられたかもしれません。そう思えば、ワクワクドキドキする正に「歴史の生証人」。熊本県指定重要文化財にふさわしい(と言うより国指定でもおかしくない)極めて価値の高い建物です。

2015-03-24 | Posted in 宗家BLOGNo Comments » 

 

利休忌

本日、本荘小堀家において、利休忌の献茶式を執り行いました。小堀家では、例年3月第1日曜に利休忌献茶式を行い、宇土藩主細川興文(月翁)公所持と伝わる利休の木像に茶を献じ、互いの精進を誓いあいます。P1060247

千利休は、天正19年2月28日に秀吉の命により自害して果てました。天下一の茶堂として秀吉に仕えた利休が、なぜ切腹を命じられたのかについては諸説ありますが、いまだに真相が解明されていない、歴史ミステリーの一つです。

天正19年は閏正月もありましたので、旧暦の2月28日は西暦では1591年4月21日に当たります。新暦での2月28日とは季節感が全く異なり、春爛漫の時期ですので、利休忌献茶では花は菜の花、菓子も菜の花をイメージしたものが定番となっています。

今年の献茶式では、正式な茶事の時、炭を炉についでいく作法である「炭点前」を山本久子先生に披露いただき、出席者にとって大変良い勉強の機会になりました。P1060284

 

2015-03-01 | Posted in 宗家BLOGNo Comments »